はーい、年中長袖末期色な「1」
宮脇咲良と同じ誕生日
あおちんコト稲城長沼の青木さん(八王子高校OB)でス。
契約満了というリリースが出てから
いつまで経っても去就がはっきりしなかった
鈴木孝司だが2024シーズンをもって現役引退することになった。
なお、今後は横浜F・マリノスのスクールコーチに就任することが決まっている。
鈴木 孝司 選手 Koji SUZUKI
■ポジション
FW■生年月日
1989年7月25日(35歳)■身長/体重
179cm/74kg■出身地
神奈川県■経歴
初声ジュニアFC → 横浜FMJry追浜 → 桐光学園高 → 法政大 → 町田 → 琉球 → C大阪 → 新潟■出場記録
J1リーグ通算:71試合出場7得点、
J2リーグ通算:166試合出場51得点、
J3リーグ通算:64試合出場31得点、
JFL通算:32試合出場15得点、
カップ戦通算:7試合出場0得点、
天皇杯通算:9試合出場2得点■コメント
2024シーズンをもちまして、現役引退することを決意いたしました。兄と夢中でボールを追いかけてきた幼少期から、初声ジュニア、横浜F・マリノスジュニアユース、桐光学園、法政大学と、関わってくださったすべての方のおかげで、プロサッカー選手になることができました。
このまま自分は、ずっとこのチームでプレーするんだと思えたFC町田ゼルビアでの7年間。自分にサッカーを楽しむ気持ちと自信を取り戻させてくれたFC琉球。30歳という年齢で、J1でプレーする夢を叶えてくれたセレッソ大阪。プロサッカー選手になってよかったと思わせてくれたアルビレックス新潟。
出会い、指導してくださった監督やスタッフ、仲間たち、そして、支えてくれたサポーターの皆様のおかげで、夢のようなプロ生活を過ごすことができました。
そして、自分の進む道をいつも温かく見守ってくれた両親、サッカーの楽しさを教えてくれた兄、どんな経験も最高の結果につながっていると言い続け、支えてくれた妻。パワーの源のそうちゃん。家族の存在にどれだけ救われたか計り知れません。ありがとう。
新潟との契約が満了となり、自分の今後を見つめ直す期間となりました。指導者のライセンスを取得する中で、自分がやりたいことが明確に見えてきました。それでも、ピッチを離れるという決断は簡単ではありませんでした。自分はまだまだプレーできるという気持ちが残っていたのも事実で、答えを出すまでに長い時間を要しました。自分が進む次の道を気にかけてくださっていた皆様、お待たせして申し訳ございません!!新たな一歩を踏み出そうと思います。
最後に、決して順風満帆で華やかな選手人生ではありませんでした。大怪我もありましたし、トライアウトも経験しました。『這い上がる』、そんな気持ちで毎日必死でした。そんな自分が35歳までJ1という舞台でプレーすることができたのは、関わってくださったすべての方々のお陰だと、心から思っています。この場をお借りして、感謝を申し上げます。
次はサッカーに恩返しをします!また会いましょう。
本当にありがとうございました。
以上、アルビレックス新潟オフィシャルHPより転載
鈴木孝司選手。
今までお疲れ様でした。
そして、新潟に来てくれてありがとうございました。
鈴木孝司といえば個人的にはこれかな。
鈴木孝司の第二の人生に幸あれ。