J1新潟のユニの右袖についているワッペン。
しかしデフォルトではついていないのだがオレのものには付いている。
別に組長からいただいたものじゃないし(つうかそれ以前に面識ありませんよ)
あとから縫い付けたというわけでもない。
ちなみに今年から増殖中の「1」つけている連中のものにはなかったりする。
(ちょっとプチ自慢してみたり)
そう、あれから2回目の10月23日がやってきました。
地震発生直後は多くの方々が避難所生活。
まだ仮設で暮らす方も大勢いらっしゃいます。
セイゴローは防災基地となりサッカーの試合どころではなく聖地千駄ヶ谷で代替開催もしました。
12月にはコインブラ(当時青A代表監督)ドリームチームとチャリティマッチもやりました。
翌年にはアルビレディースがなでしこジャパンと対戦。
地元新潟が生んだ歌姫・小林幸子も応援に駆けつけました。
山古志では闘牛が復活し徐々にではあるが元の生活を取り戻しつつあります。
日本という国は地震の多い国。
それが台湾新幹線が日本方式を採用した理由にもなっている。
地震と言うのはいつくるかわからないとてもおそろしいもの。
でかいのが起きるとたくさんの命が奪われてしまう。
オレは生まれも育ちも東京で今も東京に住んでいる。
だが新潟をサポートしている以上は忘れてはならない出来事であることには変わりはない。
だって、大好きな新潟で起きた出来事なんだから。
それにオレの体には新潟人の血が流れているから。