2003年、彼らは輝いていた

Albirex

2003年11月23日。
この日を持って新潟のJ2での歴史は幕を閉じた。
03年J2第44節で記録された得点は1点。
その時の得点者が上野優作。
その年に「ないものを補うために」新潟にやってきた。
J2では第3クールにgdgdになる傾向があるが
彼はそんなときにゴルを量産し失速することなく
第3クールを乗り切ることができた。
(ただしそのあと新潟名物第4クールの大失速が・・・)そしてこの年にはもう一つ節目となる試合があった。
2003年6月21日、神田先生の誕生日。
前節の川崎戦、別名「イマームの乱」にて
マルクス、安英学、深澤仁博が3人が累積警告で、
ファビーニョが警告2枚の退場で出場停止となった試合だ。
実際この試合も現場で見ていたんだが
試合開始当初から得点をするならそのパターンは
一つしか考えられないと思っていた。
ケガ明けのフナゾーをアテにしなければならなかった。
実際そうだった。この試合は船越のゴルで勝った。
そのときのフリーキックを任されたのが尾崎瑛一郎。
彼がいたからこそ勝てた試合でもあった。

J1に昇格してから3年。
監督が代わることにより痛みを伴わなければならないこともある。
強くなるためにさけては通れない道。
彼らは敵となる者もいれば海外へ行く者もいる。
彼らの人生はこれからのほうが長い。
そんな彼らの幸運を祈りたい。



上野優作は広島、尾崎瑛一郎はシンガポールへそれぞれ移籍が決定。
船越に関しては以前のエントリでも触れたが稲城入りの話がある。
その他鈴木健太郎が甲府のセレクションに合格と
ゼロ提示を受けた選手の進路が徐々にではあるが明らかになっている。
また梅山がサカー選手を引退して新潟市議会議員選挙に出馬するとか。
みんながんがって欲しいよ。

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